孤独のFIRE

天涯孤独・社会的孤立状態のアラフィフ親父がFIREという名の無職を続ける記録

生産性は誰が上げるのか

先月日本のGDPランキングがドイツに抜かれ4位に落ちたという報道がありました。この問題になると必ず出るのが「生産性を上げろ」という話。そんな中ネット世論財務省と並びスケープゴートとして大人気の竹中平蔵氏のインタビューが目に留まりました。

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この低成長社会から脱却するためには「まずは企業が無理にでも給料を上げて、経済を回すべきだ」と主張する人がいますが、それは経済学的に間違っています。そんなことをすれば悪いインフレが起き、実質賃金は上がらないままです。実質賃金、国民一人あたりのGDPを高めるためにはやっぱり企業・国の生産性を高めることが先です。

言っている事はごもっともだと思いますが、彼がパソナ会長時代に散々公金チューチューしてきた事との矛盾も感じます。つまり自分達が社会主義の世界に生きているのに、国民にだけ資本主義のリスクを押し付けているように見えなくもない。

結局そうした社会の歪みがれいわ新撰組のようなカルト政党と「現金よこせ」を連呼する白痴のデモ行進を産んだのではないかと思います。あれだけ大勢の人間が居て、転職や自己投資はおろか、直接会社に賃上げを要求する事も思いつかないのかと唖然とします。

 

誰もが「生産性を上げろ」と言うが、その中の誰一人として「自分が生産性を上げました」と手を上げる事ができない。総論賛成各論反対・言うは易く行うは難しの典型で、言葉というものの無力さを痛感せざる負えない訳です。

もちろんロボットやAI等先端技術の専門家の意見は傾聴に値しますが、例えばヤフコメや5chに匿名でこの手の話を書き込むのがどういう人間かというのは、偏見混じりですが容易に想像がつく。

おそらく半分はネット弁慶。現実には底辺職に就いているのに他人にマウント取りたいが為に、聞きかじりの経済政策をネットに書き込んでは「俺はマクロ経済に詳しい」自慢をするいう、生産性ゼロの行為に勤しむタイプの人間。

残りは会社で高い地位に就いている既得権益側の人間。「生産性を上げろ」と説教するのは好きだけど「あなたの存在が生産性を下げてますよ」と言われると怒るタイプ。根拠はないですが、この国の体たらくを見るにつけ多分そんな所なのではないかと思います。

 

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かと思えばこんなニュースもありました。今の日経平均株価の下落を、日銀がETFを買い控えている事が原因だとし、その事を「はしご外し」と表現してしまう。国民だけでなくメディアまでもが社会主義に犯されてしまったのかとがっかりします。

コロナショック時は多くの国が金融緩和に手を染めましたが、日銀はアベノミクス以降株の爆買いは勿論、金利を抑えるのに国債も爆買いしており、そうした状態があまりに長く続いた為当たり前ではないというのを覚えている人が少ないのかもしれません。

もはやアベノミクスの失政は明らかで、これからしばらくは撤退戦の時期が続くと予想されます。今から生産性を上げろ・出生率を上げろと言われても、ボーナスステージでアイテムどころか1枚もコインを取れなかったマリオがクッパと戦うようなもの。

少子化もGDPの減少もだいぶ前から分かっていた事で、今更騒いでも遅いよというのが偽らざる本音です。ぎりぎりになるまで現状維持を優先し、本当にやばくなった時には既に手遅れという、日本人の悪い癖が出たような気がします。

 

最後にFIREとの関連性について述べて終わりにします。基本的にリタイア民は物やサービスを生み出す立場にはないので、当事者として生産性の向上を語れるかと聞かれると難しいというのは認めざる負えない。

一方我が国の現状を鑑みて、スティーブ・ジョブズイーロン・マスクのようなイノベーターが現れるとは到底思えない。それも結局はリスクを取って生産性を上げるより、非効率でも補助金を貰える仕組みに乗った方が楽に稼げるからです。

ただ国債の利息を無理やり抑え込む時代が終わると共に、そうしたやり方も終焉を迎えつつある。公共事業の中抜き業者も、れいわのトンデモ経済政策も、国債に利息が付き皆が「これただの借金じゃん」と気づき出せば、いずれ淘汰されるかもしれない。

未来の事は分かりませんが、現時点では海外のリスクテイカーに全乗っかりして、そこで得た金銭を国内の消費に使い経済を回すというのは生存戦略としては全然ありだし、血税に群がる人達に比べたら幾らかましな生き方なのではというのが自分の考えです。

もちろんリタイア生活をする上で謙虚さは持ち合わせた方が良いというのも、以前から繰り返し述べている通りです。海外のイノベーターや国内で3K仕事に就く人が居るから成り立つ生き方なのだという事を忘れてはならないとも思います。